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汚部屋脱出お片付け計画 2日目: もっと現状把握

1年以上散らかし続けた部屋の掃除を決意して二日目、今日はなんか腰が痛いような気がしないでもないから、無理をせずに腰を落ち着けて情報収集にあたる。情報が多くあって困ることはないのだ。決してまだやる気が起きないから先延ばしにしているわけではない。

そういえば押し入れに使わないものを突っ込んだままずっと放置していたので、それがどれくらいあるのかチェックしておく。あと衣類も。

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押入れ上段。大きめのプラスチックケース4つ詰みの上に読む気のない本が無造作に置かれている。「置かれている」って他人事のように言ってるけど置いたのは自分だ。完全にこれらの本のことを忘れていた。前に見たのは1年以上前なのだし。あとはCD類も山積みになっている。多分全部PCに取り込んであるのだろうし、もう必要ないという認識を自分自身しているにも関わらずまだ手元に置いている辺り、片付けられない人間なんだろうなと思う。CD類の奥にはこれまたやりもしないゲーム類が眠っている…

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で、その読まない本やCDの土台になっているプラスチックケースは空かと思えば、そんなことはない。また更にみっちりと本が詰まっている。昨日の写真見たら押し入れの外にも読んでない本を積んでるじゃん。何で読み切れないのにこんなに本買うの?馬鹿なの?一年以上ぶりに分厚い本たちとの涙の再開を果たし、あぁ、まさかまさかとは思っていたけど、薄々そうではないかと思いながらも、何だかんだと理由をつけて自分はそうではないと心のなかでは否定していたけれども、今はっきりした。実際自分は本当に馬鹿なんだ。

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押入れ下段。サーバー用途のPCとその工具、以前使っていたノートPC。そしてその横のカゴのなかには更に本が…。何で読みもしない本をこんなに貯めこんでるのか。ハムスターは餌をゲットするとすぐに穴を掘ってそこに貯蔵し後で食べるらしい。彼らは貯蔵したものをちゃんと消費するが、一方の自分はといえば貯蔵しておいて消費しない上にそれを貯め込み過ぎて生活スペースまで圧迫される始末だ。小動物との知恵比べで惨敗。

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最後は衣類。衣類だけは比較的綺麗に、1つのハンガーラックに収まっている。衣類だけはまとまっているのは衣類の所持数が少ない上に、部屋着以外はあまり使う機会がないから出しっ放しにするということもないからなのかもしれない。引き篭もりの数少ないメリットの1つだろう。

という感じでこれが本当に今の現状なんだと把握。部屋とその中の配置がこんな感じ。

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要素だけ見るとスッキリしているけど、実際は絶望的なまでに汚い。部屋の状態がその人の心を表すなんていろいろな人が言ってるけど、今の自分の精神状況はこの部屋の写真から察するに相当荒れているのだろう。こう改めて写真として見てみると本当にヒドい。まだ一切の手をつけていないのにも関わらず気が滅入ってくる。情報は多いに越したことは無いと思っていたけど、情報過多になってしまうのも困りものだなと分かった…明日こそは手をつけよう。マジで手をつけよう。本当に手をつけよう。

汚部屋脱出お片付け計画 1日目:まずは現状把握

自分は良く言えばメリハリをつけるタイプ、悪く言えば尻に火がついてもまだ座り続けて火が付いている事実を無視し続けて全身火だるまになったところでやっと腰を上げるタイプの性格だ。なので、何事も手遅れとか相当なレベルにならないと動き出さない。この前も何か見えづらいと言う理由で5年ぶりくらいにメガネを新調したのだけど、それまで使っていた古いメガネでは視力は0.05も無かったことが新調時の視力検査で分かった。通りで見えづらいはずだ。メガネ屋のお姉さんにも「よくこの視力で生活されてましたね、相当生活大変じゃなかったですか?」と聞かれてしまった。それくらいのレベルでないと上げることが出来ないくらいに腰が重い。

メガネを新調したあとは視力がぐんとあがったおかげで、世界が一変したように見えてちょっと感動した。世界はこんな風に見えたんだ!と思ったりした。いちいち目を凝らさなくても良い生活はこんなに快適なのかと思った。普通はもっと早い段階で手を打って快適さを感じるのだろうけど、自分は悪い時と良い時の差が極端に大きくないとその快適さを感じることが出来ない馬鹿なんだろう。感受性センサーが壊れているかもしれない。

で、メガネすらそんな調子なので、掃除も本当に部屋が汚くなって生活に支障をきたすレベルまでじゃないと掃除をしない。一旦掃除すればそこそこ綺麗な状態にまではもっていけるのだけど、一度片付けや掃除をすると、その次もまた死ぬほど汚くなるまで掃除をしなくなってしまう。という訳で、今回も大分部屋を汚くしてしまった。引き篭もりも相まって1年位掃除をしていない。無職、引き篭もり、汚部屋の大三元でアガってはいかんとやっと思い立って(思い立つのに1年かかった)、掃除をしようと決意した。そろそろ色々な踏ん切りもついたので就職活動を始めようと思っていたし、まずは外に出る前に内側をなんとかしたほうがいいだろう。

ある程度の刺激が無いとやる気も気力もわかないので、今のこのどうしようもない状態の部屋を公開するという刺激をもってして掃除を進めていこうと思う。

とはいえ片付けるにあたって、まずは現状を把握しなければならない。と思ってまずは六畳の自室の現状を写真に撮ってみた。現状把握ったって見るだけでいいだろ、写真なんて撮ってる暇あったら片付けろ!って話かもしれないが、客観的に見て汚さを把握したり、ある種の戒めのために写真を撮っておくという行動は悪くないんじゃないかと思う。まだイマイチ腰を上げる気にならないから時間稼ぎのためにとかそういうのじゃない。マジで。

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ワークスペース周り。うん、文句無しに汚い。そこら辺にあった趣味の悪い柄のマットを敷いているせいで、3割増しくらいで汚く見える。

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パソコン周り。机の上はなんかよく分からん書類なんかでゴチャゴチャ、マンガは読んだら読んで元の場所にしまわない、ペットボトルも分別が面倒で放置…と最悪だ。自分で見ていて気分悪くなってきた。よくこの状態で生活してきたな。

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パソコン周りの反対側、ゴミ箱とか部屋の入口へ繋がるスペース。ゴミが出たらまずはゴミ箱に押し込む、溢れそうになったら更に押しこむという超圧縮方式を採用しているため、ゴミ箱が今にも破裂しそう。ゴミ箱へ投げたけどゴミ箱に入らなかったゴミが周りにあふれているし、向かって右側は後で読もうと思って買い続けた分厚い本達がうず高く積み上がっている。本当に汚い。

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ワークスペースとは反対の布団周り。ワークスペース周りに比べればまぁ綺麗と思えるけど、よくよく見ればこちらもゴチャゴチャしていて汚い。積み上げたダンボールを机代わりにしてパソコンで作業している時が多いのだけど、この作業スペースは改めて見ると物凄く哀愁ただようというか酷いというか…

というわけで自室の現状がこんな感じ。写真をみているだけで片付けるのがもう嫌になってきた。せっかくちょっと上がってきた腰が急降下しそうになっているが、果たしてここからどれだけ綺麗にできるのか…まぁとにかく社会復帰活動の一貫と思って頑張ってみようと思う。

ちなみに仮に綺麗に片付いたとしても、また数ヶ月もすれば写真のように汚くなるのがオチなんじゃないの?とは思うかもしれないが、そこに関しては秘策を用意してある。秘策についてはまた後日…

地べたに座っても痛くない

ということを今日発見した。

日がな一日PCをいじりながら座り続けているので、2週間に1回位お尻が痛くなって何も出来なくなる。痛くなるというかヒリヒリする。良さそうな座布団を買ってみたり、座椅子を変えてみたり、立ってPCを扱えるようにしてみたり、寝っ転がりながら作業してみたり…と色々手を変え品を変えどうにかやり過ごしていた。けどやっぱり最終的には座るのが一番集中できてやりやすいので、元通りになる。今は座布団を二枚重ねにしてみている。

それでもやっぱり痛くなる。けど1日2日何か別の方法を試してから元通りに座るようになると、不思議と痛みが消えてたりする。別に座布団がヘタったりしてるわけでもない。何で痛くなくなるのかはよく分からない。疲労がおしりにピンポイントで出ているのか?多分そうではなくて、普段はお尻の筋肉を緊張させているからあまり痛まないけど、疲れてる時は筋肉を緊張させるパワーもないから痛みがダイレクトに体に伝わりやすいんじゃないかと思っている。

今日も痛くなってどうしようかと考えてみた。で、地べたにそのまま座るのが今のところ一番落ち着いて痛くならないことを発見した。座布団に座っているときは10分くらいで限界が来るのに、畳の上にそのまま座ると1時間以上そのままでもいられる。何のために座椅子や座布団を買い換えたりしたのか…。灯台下暗しと言う言葉はこういう時のためにある言葉なのかもしれない。いや、こんな言葉で表せる間抜けな状況なんぞに陥りたくはないので、出来る限り使いたくはないのだけど。

何故なんだろうかと考えてみるけど、よく分からない。先の推測はあまり正しくないのだろうか。疲労度によって痛みが変わるなら、座布団があったほうが痛みはやわらぎそうなものだけれど。

これもまた色々考えてみたけど、座布団に座っているときと畳にそのまま座っている時では使う筋肉というか体へのダメージの与え方というか与える部分が違ってくるのかと思った。ずっと同じ姿勢でいると体に良くないみたいな理屈の延長で、同じような姿勢で同じもの(この場合は座布団)に体を預けていたら、それに筋肉や諸々が最適化されすぎてダメージがその部分にだけ蓄積してしまうんじゃないか。働いてた時、何万もするような結構いい椅子を使わせてもらっていたのだけど、それでもやっぱり同じような現象は起きていて、そういう時はノートPCだけ持ちだして会社の会議室の椅子とか非常階段に座りながら作業していた。座布団だろうがいい椅子だろうが、ダメージを吸収してくれるものがあるのは良いのだけれど、それでも遅かれ早かれ限界は来るし、その度に別の方法でやり過ごさなきゃならない。どれだけ信頼できる何かに頼って身を預けていても、いつかは不和が必ず発生して、それは別の手段でその不和を解消しなきゃならない、というのは別にお尻にだけ言えることじゃないじゃないかな、とか思った。非常時は意外と「地べた」でも大丈夫だったりするのかもしれない。

長期的に悲観的な考え方

「短期的には悲観的に、長期的には楽観的に」考えるのが精神的にいいらしい。色んな本に書いてあった。自分の場合はそれができない。短期的には楽観的になったり悲観的になることはあるけど、長期的に楽観的になることがあんまりない。

ここ一週間くらい、その長期的に悲観的な考え方がものすごく全面に出てきて生活リズムがちょっとおかしくなったり、やらないといけないことをこなせなくなってきてる。

どうしたらいいものかと考えてみたけど、結局は考えないのが一番いい気がしてきた。喫緊の事とか割と短期的に、少なくとも半年以内くらいには自分が直面しそうなことについてのシミュレーションを行ってる内に多少元気とやる気が出てきた。自分は想像力も無ければ、長期的に楽観的になってうまくいった経験というか自信が無いからこそ、長期的に考えたところでどうにもならないんだろうと思った。短期的に差し迫ったことに対してのシミュレーションをして良くなったケースがあるのかと言うと思い当たりもないけど、それくらいなら多少は現実的な想像ができるので、短期的な課題をシミュレーションした結果このままじゃヤバイという結論に至っても、じゃあ打つべき手は何なのかをまた現実的に考えられるし、その現実的な選択肢が乏しいものでも、その中からどうにか面白そうなことを想像できるし、それくらいなら見込みはあるので、長期的なことを考えるよりか幾分マシになるんじゃないのかと思った。

二十歳くらいのとき、25歳の自分が想像できなかった。生きてないんじゃないかと思っていた。25歳になった時、30歳の自分が想像できなかった。生きてないんじゃないかと思っていた。多分、28とか29くらいで死んでるんじゃないのかと思っていた。30歳になった時にどうなっていたいのかは想像できないけど、ただ、最低でもこれくらいにはなっていたいみたいな漠然とした合格ラインが無意識の内に頭のなかにあって、それをクリアすることが出来なさそうだということが28とか29になった時点で分かって気が狂って死ぬんじゃないかと思っていた。今、30歳が近づいてきてる。確実に合格ラインは超えられない。引きこもりの無職なんて社会的に死んでるも同然だ。やっぱり長期的な見込みはうまくいっていない。

場当たり的な考え方だけじゃどうしようもないけど、今をどうにも出来てないのに長期的なことを考えようとしたって悲観的な考えしか浮かばないのは当然のような気もする。今考えるべきは、色んな意味で喫緊の事に限定しておいたほうが良いのかもしれない。

身長190センチ体重120キロのムキムキな黒人になりたい

最近どんな映画やドラマやアニメを見ても、「これ主人公が身長190センチ体重120キロのムキムキな黒人だったらもっと早く色々解決するんじゃないの?」という感想ばかりが浮かぶ。いや、それじゃストーリーの盛り上がりとかめっちゃなくなって物語として全然面白くなくなるからダメなんだけど。でも現実世界だったら絶対に身長190センチ体重120キロのムキムキな黒人は有利だろと思う。

力道山はあんなに体格よくて肉弾戦ならめちゃくちゃ強かったのにも関わらず、ナイフで刺されて死んだ。どんなにムキムキでも銃でヘッドショット一発キメられたら死ぬ。それでも、ヒョロヒョロの中年のおっさんがナイフや銃を持った相手に挑むよりも身長190センチ体重120キロのムキムキな黒人が立ち向かうほうがうまくいく確率は絶対高い。大体現実世界でそんな状況に陥ることもそうないはず。銃社会でも何でもない日本ならば尚更だ。

例えば、格闘技の心得があるボブサップみたいな身長190センチ体重120キロのムキムキな黒人がいるとする。こいつはたまに情緒不安定になる時があるとする。変にプレッシャーかけたり、無理な注文をすると「ぁあ”?」みたいな感じで戦闘態勢に入ってくる。機嫌が悪い時とかは周りのものをぶっ壊したりして、ストレス解消とともに周りに自分はこれだけパワーがあるんだぞと見せつけてきたりするとする。めっちゃ怖い。そういう奴が外注先とか部下にいるとする。そうなった場合、日和ってしまう人間は多いんじゃないかと思う。説教してやろうと思っても、他の普通の人間に対して説教するときよりも、そのメンヘラボブサップに対してはちょっと言葉を選んだりする。ちょっと物腰柔らかな言い方をする人間が多いと思う。別にそのメンヘラボブサップがすぐ暴力に訴えてこなくても、その身長190センチ体重120キロのムキムキなガタイで反抗してきたら、絶対普通の人は恐怖を感じる。自分がメンヘラボブサップ側だったら、やりたい放題とまではいかなくとも、ある程度自分の主張を押し通しやすい気がする。

わたし男に生まれればよかったわ

力ずくで男の思うままにならずにすんだかもしれないだけ

わたし男に生まれればよかったわ

中島みゆき - ファイト!

中島みゆきもこう言っている。力があることは強い。社会的な力はメチャクチャ強いけど、社会的な力に対して恐れを抱くよりも、人間は物理的な力に対して恐れを抱く生活を長い間送ってきた。社会的な力でねじ伏せられても、すぐには死なない。物理的な力でねじ伏せられたほうが死へ辿り着くスピードは早いだろう。その分、物理的な力に対して人間が抱く恐怖は強いはずだ。人間の本能的な部分が、身長190センチ体重120キロのムキムキなやつを敵に回した場合は物理的な力関係的にヤバイぞと無意識に認識していると思う。だから普通は身長190センチ体重120キロのムキムキな黒人に威圧感を感じるはずだ。中島みゆきが身長190センチ体重120キロのムキムキな黒人だったら、この曲は生まれなかっただろう。中島みゆきも身長190センチ体重120キロのムキムキな黒人になりたいと思いながらこの曲を作り、身長190センチ体重120キロのムキムキな黒人になりたいと思いながら歌っているのだろう。わたし身長190センチ体重120キロのムキムキな黒人に生まれればよかったわ。

答えがあると思っている

最近7DaysToDieというゲームにハマっている。クラフト系のゲーム。マインクラフトみたいなの。ゲーム中のあらゆるものが破壊可能で、破壊して得た素材を使って色んな物をクラフトする。木とか草とか石とかから道具を作って、その道具で建物の基礎となるブロックを作って…みたいなことをして、自分の思い通りの家とか拠点を作る。ただ、これがマインクラフトとかと違うのが、ゾンビが居るということ。昼間もそこら辺をゾンビがウロウロしてるのでゾンビから逃げたり戦ったりしないといけない。しかも夜になるとゾンビは活性化して超強力になってプレイヤーがどこに居るかを察知する能力も敏感になるので、殺される確率がグンと上がる。なので夜は下手に動いてゾンビに存在を気づかれてぶっ殺されないように、作りかけの家の片隅でカタカタ震えながら夜が明けるのを待つ、みたいなことをしないといけない。しかも7日毎に、プレイヤーがどこにいてもゾンビがその存在を嗅ぎつけて殺しにやってくるというイベントがある。なので、7日間の内に圧倒的な量で襲い掛かってくるゾンビたちを迎え撃つための拠点を作らなきゃいけない。大体初回は7日目にぶっ殺されるらしい。案の定初回はぶっ殺された。3度目でなんとか7日目を凌いだけど、ゲーム内時間で7日、現実時間でも半日くらいかけてつくった拠点が一晩でゾンビたちに半壊させられるという目にあって涙目になる。そんなことを繰り返し続けるゲーム。

このゲーム、今はPC版しか出ていない。しかもアーリーアクセス。アーリーアクセスとは、完成してない状態で、とりあえずは遊べるような開発途中の状態でリリースしていること。なのでまだまだバグも結構あるし、仕様もコロコロ変わる。結構なスピードでバグとか色々な変更が現在進行形で行われている。

ゲームの開発元も海外なので、日本語情報もそこまで多くはない。ある程度はwikiとしてまとめられているけど、何しろ結構なスピードでバージョンがあがって仕様も変わるので、wikiの情報も追いついてないことが多々ある。とにかくクラフト系だけに出来ることは沢山あるのだけれど、その分よくわからんところもたくさんある。

これどうなってんだ…と不思議に思ってちょっと調べてみてもよく分からんことは2chで聞いている。とにかく聞きまくっている。当然全部が全部答えて貰えるわけではない。絶賛開発中修正中のゲームなので、開発元ですら何で起こるのかよく分からない現象とかもあるはず。というかある。そういう中でプレイヤーに聞こうとしているという姿勢が何かおかしいんじゃないかと思った。

何かよく分からない挙動があって、これ何?って聞けば誰かが答えてくれる、または教えてくれなくても答えがある、と思っているフシがある。なんというか自分はそういうところがある。前にも書いたような、「曖昧さ耐性」というものが低い気がする。万物が白黒はっきりしていて、何事にも正しい答えがあると思っているところがある。答えなんてないという曖昧な状態に対しての許容さが低い。何に対しても何かしらの定石的な答えがあると思っているような気がする。誰もが分かるわけでもないし、回答をもらえたとしてもそれが本当に正しいかどうかは分からない。その回答をした人間の捉え方から導き出した解釈という感じなんだろうけど、とにかくそういうものを求めてしまう。

求めてはいけない、となるとまた極端だけど、どの程度それを求めるべきなんだろうか、と考えてしまう。そのバランスにも適正値という「答え」があるんじゃないかと思ってしまう。延々と、それっぽいものを求めてしまう。どういうスタンスで行けばいいのかよく分からない。よく分からない、というスタンスで居るのが一番いいのかもしれない。よく分からない。

お薬手帳

4月からお薬手帳を持参しないとエライことになるとかならないとか。いや、エライことにはならないけど。まぁそれはそれとして、「お薬手帳」という言葉が面白い。その名称自体に「お」が入ってる。美化語の「お」だと思う。「おトイレ」みたいな感じの「お」だと思う。それ込みで名称になってるのが面白い。こう、物凄く口の悪い人がいて、例えば「トイレにいく」という表現も口の悪い人とかなら「便所に行く」みたいな感じで言うだろう。「トイレにいく」でも違和感はない。でも、いきなり「おトイレに行ってくる」とは言わない。トイレ我慢しすぎて頭おかしくなったのかと思われたりするだろう。とにかく、そういう人口の悪い人というかあまり美化語や丁寧語を使わないようなぶっきらぼうな人でも、お薬手帳のことを呼ぶ時は「お薬手帳」と呼ぶんだと思うと面白い。「薬手帳」と単純に言われてもピンと来ない。「お薬手帳」と言われれば、ああ、あれだとすぐにわかるが、「薬手帳」と言われても一瞬何のことかわからなくなるだろう。だから「お薬手帳」と言う他ない。プロレスラーの蝶野のような、明らかにヒールっぽい人でも「お薬手帳」というんだと思うとちょっとかわいいし面白い。逆にそこを頑固に「薬手帳」と言い出したらみみっちい感じがする。どこまで「お」をつけたくないんだって感じがする。「ほら、あれだよ、あるだろ、今飲んでる薬を管理する手帳がよ…」みたいなフォローをいちいち入れながら頑なに「お薬手帳」と言わなかったら言わなかったで、物凄くみみっちい。でも、いきなり「お」なんてつけはじめて「お薬手帳」なんて言葉を口にしたら、なんかギャップを大いに感じて面白く思える。なんか、そんな感じ。