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意味とか理由とか目的を求めちゃいけないタイプの問題

「これ、やってて意味あるの?」みたいなことを考えることがよくある。
目的や目標があるからこそ行動に意味が生じる。その目的により良くたどり着くために、その行動に理由をつけてこそそれが「意味」になる。プログラミングやらデザインとか勉強してて、これ何の意味あるんだろうか?と考えてしまう。自分なりの理由は金儲けのためだ。お金がないと生きていけない。生きてるだけでも、毎日寝てるだけでも保険料とか国民年金とか食費とかかかる。生きるだけでお金がかかる。お金を儲けてどうするのか。別に億万長者になりたいわけでもない。毎日うまいもの食べて暮らしたいわけでもない。欲しいものがあるとかそういうわけでもない。無ければ無いでまぁいいか、みたいな気分。じゃあ何でお金を稼がなきゃいけないのか、というか何で生きてんのか、というところにたどり着く。自分でもわからない。じゃあ死ねばいいじゃん、ということになるし自分でも「チャンスが有れば死にたい」くらいのスタンスでいたいと思ってはいるけども、やっぱり事そうなると痛いのやだし苦しいのもやだし怖いしなぁ…という気分になる。

楽しいことが今まで無かったわけではない。ものすごく楽しいことは多くあったが、それ以上に嫌なことがたくさんある。生きてて嫌なことがたくさんある。その多くある嫌なことを乗り越えてまで楽しい経験をしたいかというと、そうでもない。その楽しいことが、それに至るまでにある数多くの嫌なことを補って余りあるような快感を与えてくれるとわかっていてもそう魅力的には思えない。嫌なことから逃げちゃダメだ、みたいな言説を見ても、逃げた先にあるものと勇気を持って立ち向かっていった先にあるものの違いがよく分からない。いや、違いはわかるけども、それらに辿り着く意味はあんのかみたいなことを思ってしまう。嫌なことの嵐の中で立ち向かえるだけの気力を与えてくれるような意味とか目的とかそういうものが無い。そこに意味や目的が無かろうとも生き続けて嫌なことと向き合う覚悟も、スパッと死んで一切をそれっきり何も無かったことにしてしまう覚悟も、どちらもない中途半端な落伍者でしかない。

生きる目的を持ってる人のほうが多分少ないだろう。目的があったとしてもそれが達成された時に、目的達成したのでもう生きる意味ありません死にます、って人もいないと思う。その目的は生きる上での目的が(自覚的か無自覚かはわからないが)複数あってそのうちの1つだったりするのかもしれない。生きることに対して目的を据えたところで、その自覚的である目的というのはただのマイルストーンというか通過点でしかないのかもしれない。

とか何とかつらつら考えてはみるが、結局は結論が出ない。当然のことではある。何千年にもわたって頭のいい人達が考え答えを出しあぐねてきた問題を、そこら辺の無職が数日でどうにか出来るはずがない。生きる目的とか意味とか何なのか、自分なりの答えは出たとしても、それはものすごく浅はかな考えでしかなくて、結局は答えとして、自分の中での生きる目的とか意味としての役割を果たせないようなものにしかなりえない。

今は一応生きてるので惰性的に生き続けると思う。けど生きる限りは楽しいこともあれば嫌なこともある。生きるという非常に精神的なエネルギーを使う行動をする上で必要なガソリンとして、生きる意味とか目的を据えようとはしてみたが、やっぱり無理っぽい。「こういうもんだから仕方ない」とある程度の思考停止をしないと、もう本当に全く動けなくなるだろう。こういう類の問題はそう簡単に答えが出るものでもないし、というか多分答えなんてないし、変に考えすぎてしまうと今までやってきたことって何だったのかとかこれからすることって何のためなんだと思ってしまって足が止まってしまうので、もう考えないほうがいいのかもしれない。「わからん」の一言で終わらせてもうそれ以上踏み込まないほうがいいのかもしれない。