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今日の一針、明日の十針

日記 無職

ということわざがあることを知った。意味は

今日なら一針縫えば済むほころびも、明日には大きくなって十針も縫わなければならなくなる。わずかの労を惜しむと後で大変になるというたとえ。 『今日の一針明日の十針(きょうのひとはりあすのとはり)』の意味と定義(全文) - 辞書辞典無料検索JLogos

最近また精神面を強くする的な本を読んでるけど、結局はどれも時間のかかる面倒な回り道をしなければ、強いメンタルの得られる考え方は出来るようにならないんだなぁというのを強く感じる。逆に今までダメな選択ばかりしてきた結果、今一億針くらい縫わなきゃいけないようなことになってるんだろうなぁとも思う。何もしないという一種の選択ばかりをし続けてきたからかもしれない。まぁ今更何が一億針も縫わせる原因となったのか分かったところでどうしようもないので、これからちまちまチクチクと縫い続けなければならないんだろうなと感じる。

去年末くらいまでは朝食後と昼食後に腹ごなしがてら散歩をしていた。が、最近はしなくなった。単純に1月は寒かったし雪もメチャクチャ降ったし道路が凍ってコケるし…と思ってからの事だったのだけれど、今になって果たしてそれは本当の理由だったのかと思う。理由としてはあるんだけども、無意識的に別の理由を自分自身に隠すための、自分自身への言い訳みたいなもんじゃないかと思う。いい歳した人間がジャージ来て真っ昼間にプラプラ歩いてたら変な目で見られるようなところに住んでいるのだ。別に悪い事してる訳じゃないから別にプラプラしててもいいだろとも言えるけど、実際は言えない。なんだか物凄く変な目で見られているような気がしてならない。他に散歩してる人がいるのを見ると何か変な目で見られるんじゃないかと思ってドキッとするし、向こうから車が来ても、車のドライバーに変な目で見られるんじゃないかと思って顔を伏せてしまう。それが散歩をしなくなった本当の理由なんじゃないかと考え始めた。寒いとかなんだとかってのは言い訳で、実際は自意識過剰過ぎるのと、散歩の度にそういうこと考えて脂汗かくのが嫌なんじゃないかと。そしてこれが明日更に九針も縫うハメになる原因じゃないかとも思う。

自分では毎日定時に寝起きして、ちゃんと1日から数日分の作業量の見積もり立てたうえで何か作業をする、というのを心がけていたんだけど、何だか最近になって上手くいかなくなってきた。いくらか時間は経って去年の今よりも多少は良くなってはいるものの、ここ数ヶ月は三歩進んで三歩さがるみたいな感じになっている。なんでだろうと考えてみたけど、お医者さんの世話になってる現状から社会復帰しようと考えた時に、自分の考えていた「社会復帰に向けてその日1日で出来ること」の粒度、つまり今日の一針の粒度が大きかったんじゃないかなと思う。冷静に考えて、散歩もロクにできないような人間が働いてる人間と同じように1日9時間集中して作業するっていうのは何か無理がある感じがする。もちろん出来る日もそこそこあるんだけれども、それより先に散歩ちゃんと出来るようにしたほうが良くない?とも思う。1日9時間働けるけど、外に出られませんじゃ危うさを感じる。1日どれくらい作業するのも散歩するのも同時進行出来るものだから、両方やればいいのだろうけど。ただ、三歩進んで三歩下がってるのは、1日にこなせる作業量は増えたものの、散歩できなくなるくらい自意識過剰っぷりが進行してるという感じなんじゃないか。その自意識過剰っぷりが綻びを生み出して九針プラスで縫わなきゃならないようにしているんじゃないか。今の自分にとっての一針は、散歩できるようにするとかそんなレベルなんじゃないだろうか。

自信は成功体験がキモになる。1回の成功体験じゃ自信持てないなら何度でも成功すればいい。で、それによって出来た小さな自信を次の少し大きなチャレンジに使って、更にそれを成功させることで自信をつけて…というステップを踏まなきゃいけない。自分にとっての今できる最低限のステップはちゃんとやり続けてモノにしなきゃ、そこが綻びになり始めるんだろう。

いつになったら前に進むんだろうか…と思って自分自身にうんざりしながらもやらなきゃどうにもならんので、明日も渋々変な顔をされながら散歩に出る。