長期的に悲観的な考え方

「短期的には悲観的に、長期的には楽観的に」考えるのが精神的にいいらしい。色んな本に書いてあった。自分の場合はそれができない。短期的には楽観的になったり悲観的になることはあるけど、長期的に楽観的になることがあんまりない。

ここ一週間くらい、その長期的に悲観的な考え方がものすごく全面に出てきて生活リズムがちょっとおかしくなったり、やらないといけないことをこなせなくなってきてる。

どうしたらいいものかと考えてみたけど、結局は考えないのが一番いい気がしてきた。喫緊の事とか割と短期的に、少なくとも半年以内くらいには自分が直面しそうなことについてのシミュレーションを行ってる内に多少元気とやる気が出てきた。自分は想像力も無ければ、長期的に楽観的になってうまくいった経験というか自信が無いからこそ、長期的に考えたところでどうにもならないんだろうと思った。短期的に差し迫ったことに対してのシミュレーションをして良くなったケースがあるのかと言うと思い当たりもないけど、それくらいなら多少は現実的な想像ができるので、短期的な課題をシミュレーションした結果このままじゃヤバイという結論に至っても、じゃあ打つべき手は何なのかをまた現実的に考えられるし、その現実的な選択肢が乏しいものでも、その中からどうにか面白そうなことを想像できるし、それくらいなら見込みはあるので、長期的なことを考えるよりか幾分マシになるんじゃないのかと思った。

二十歳くらいのとき、25歳の自分が想像できなかった。生きてないんじゃないかと思っていた。25歳になった時、30歳の自分が想像できなかった。生きてないんじゃないかと思っていた。多分、28とか29くらいで死んでるんじゃないのかと思っていた。30歳になった時にどうなっていたいのかは想像できないけど、ただ、最低でもこれくらいにはなっていたいみたいな漠然とした合格ラインが無意識の内に頭のなかにあって、それをクリアすることが出来なさそうだということが28とか29になった時点で分かって気が狂って死ぬんじゃないかと思っていた。今、30歳が近づいてきてる。確実に合格ラインは超えられない。引きこもりの無職なんて社会的に死んでるも同然だ。やっぱり長期的な見込みはうまくいっていない。

場当たり的な考え方だけじゃどうしようもないけど、今をどうにも出来てないのに長期的なことを考えようとしたって悲観的な考えしか浮かばないのは当然のような気もする。今考えるべきは、色んな意味で喫緊の事に限定しておいたほうが良いのかもしれない。