考え方を変えるなら、言い訳を用意しろ

三つ子の魂百まで、ともいうし何十年か生きてきた中で培われた性格は中々変えられない。が、これを変えなきゃなとは無職になってからずっと思っている。自分の性格の欠点なんてHDD容量がパンパンになるくらいに挙げることができるけれども、残りの人生で変えられるものなんてそのうち1つあれば良いくらいだろう。とにかく何か変えなきゃヤバイなという危機感はあるんだけど、果たしてそのうち1つでも自分の性格の嫌なところを変えることなんて出来るのかと疑わしい。

ネガティブで凹みやすい考え方をポジティブで何があってもへこたれない考え方に変えるなんて大変革は無理なの承知だけれども、せめてへこたれてもいいから早く回復できるようにはなりたいと思っている。が、やっぱり生来の考え方というのはほとんどその人の性格とイコールなので変え難い。どうやったら変わるのだろうか、変え方がわからない。

どうしたらええんや…とうんうん唸っている時に、認知療法の本に「何かが自分の身に起きて、それによってネガティブな考えが浮かんだら、それを書き下せ」というアドバイスがあったのを思い出した。起こったこととそれによって生じたネガティブな考え、そしてそのネガティブな考えを打ち消すような反論まで含めて書けというもの。何か嫌なことが起こってネガティブな感情や考えが反射的に浮かんでくるのはもうしょうがないものとして、それに加えてそのネガティブな感情を引きずり続けないように、それを打ち消す反論というかいわば言い訳のようなものを考えるように、そして書き出すように訓練しろという感じに解釈している。結局は訓練というか反復練習が必要なんだけど、もうネガティブさとか性格ともいうべき考え方がまず真っ先に浮かんでくる事自体は否定せず、というか抑制できないので、せめて後付でその反射的な考え方に更に言い訳を反射的に付け加えて考え方を矯正しろってことなんだろう。

色々思い出してみれば、何かに失敗して自分は無力だ、もう何も出来る気がしない…という感じで無力感でいっぱいになって何も出来なくなるパターンとか、こんなことも出来ない自分は情けないと自分に対して怒りを感じたりとその時々の状況にもよるけど自分のネガティブな考え方はある程度のパターンに分類できるので、それらのパターンをリストアップしておいてからそれらに対する「言い訳」を作って覚えておいたら良いんじゃないのかと考えた。

もうすでに定着してるものをどうにかして引っぺがすことは出来ないので言い訳を上塗りしていくという考え方は中々興味深いな、とその本を読み返しながら思った。 でもなにか嫌なことが起こった時に反射的にその言い訳までを考えるように習慣づけるにはどうしたらええんや…というまた新たな問題が出てくるので、やってるとキリがないような感じもするが、ネガティブな考え方をそっくりそのまま転換してポジティブな考え方ができるようにしましょうねという無理がありすぎる課題よりはマシだし現実的で可能そうな気がする。ここのところ、朝起きた時に何時に寝て何時に起きたか、何時間眠れたか、途中で起きることは何度あったか、と不眠の状況を記録する日記をほぼ毎日つけているので、そういう日記にそんなことを書けば良いのかもしれないな、などと思ったり。多少独善的な言い訳であっても、何も出来ず凹みまくる毎日よりはマシだろうとも思いながら。

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

嫌嫌

あることをやり始めた当初は新鮮で楽しく感じられるんだけど、ある程度続けてくると飽きてくるのか何なのか、物凄く嫌になってくる。この作業に意味あんのか、意義あんのか、成功するのか…みたいな気分になる。けど、意味あるか成功するかどうかもわからないしそれを明確にするためにもその行動をし続けなきゃいけない、みたいな時は本当に辛い。その辛さでだんだんと作業ペースが落ちてきてやり方もちょっとずつ雑になってきて…みたいなことによくなるし、今まさにその真っ只中にいる。

別のことに手を出してリフレッシュしても、また再びその元の作業に戻ってもその時感じていた嫌な気分もそのまま蘇ってくるので、どうしたらいいのかということをずっと考えてる。ずっと考えてるけど、結局この嫌な気分は多分どういう作業やってても感じる普遍的な感情なんだろうから、何度もそれに立ち向かっていって慣れていくしか無いという気がしている。

ブレイキング・バッドの劇中で、主人公がボコボコに殴られて顔にアザができてるのをパートナーに見られるシーンがある。そのパートナーは主人公よりも何度もボコボコに殴られてきた経験があるので、そのアザを見て主人公に対して「そういうのは慣れだからさ」とサンドバッグ経験者としてのアドバイスを送る。物理的にボコボコにされるのも精神的にボコボコにされるのも(ある程度は)慣れによってどうにかなるもんなのかなぁと、そのシーンを見て『慣れ』の強力さというかそれを身につけるのが一番の解決策なんじゃないのかという考えが強まった。

ゲームに学ぶ選択と集中

1日の時間の使い方について凄く考えるようになった。大体いつも午前中は集中力があるんだけど午後になるとだんだん眠気がそれを上回ってきて、夜になると眠くて眠くてボーッとしてしまう。そういう感じなので頭を使わなきゃいけないことは出来る限り午前中に回して、ある程度頭が回らなくてもなんとかなるようなものは午後に回して、夜は中途半端な時間に寝ないよう頑張る、という感じ。

夜、頭が回ってない時間帯はできるだけ生産的なこととかはしないようにしてる。集中力ほぼ0の状態でなんかやっても何も得るものないんじゃないかと思っているから。得るもの無いくらいならまだマシで、それ以上に悪影響すらあるんじゃないかとすら思えてくる。中途半端にやる癖みたいなのがついちゃったら嫌だから。文字が頭に入ってこない状態で読書をしていても意味が無いし、それを常態化させて習慣化させてしまったら読書に対しての心構えというかも常にそんな感じになってしまうんじゃないかと恐れている。娯楽のための読書は別かもしれないけど、自己啓発書とか技術書とかに対してそうなってしまうのは嫌だ。何か能力や知識を得たいのなら、ある程度の集中力と労力が必要だろう。ただ本を読んでるだけじゃ賢くはなれないし、ただカラオケしてるだけじゃ歌はうまくならないし、毎日ブログを書くというだけじゃ論理的に扇情的に文章を書けるようにもなれない。何かしらの目標を据えてそれに対してどういうアプローチを取るかとか何を意識しながらその行動を行うかによって得るものは違ってくると思う。時間は限られているので、どの行動にどれだけの時間と労力・集中力をつぎ込むかで色々変わってくるし、適切にそれらを振り分けなければならない。

かと言って時間と集中力を費やせばそれでいいってわけでもない。例えば受験勉強のとき、それなりに集中力と時間をつぎ込んで多くの知識を得たはずだけど、今となってはそれらの知識はほとんど頭のなかにない。受験勉強で得たものはテストで良い点とるためだけの即物的なものではないのだけれど、ただやっぱり知識を得ることにウェイトをおいていたのでそれが時間経過によってほとんど失われてしまったのは時間と労力の無駄だったようにも考えられる。けど、そのタイミングではその即物的なものが無ければいけなかったわけだし、それが間違った選択だった、その時間でゲームでもしてりゃ良かった、とは思えない。 長いこと使い続けられる能力のほうが一時的な能力よりも良いのはわかるが、時間やコストの兼ね合いとかそういう意味でなくタイミングとして後者を選択しなければならない時もある。要はタイミングも考えなければならない。そのタイミングで一時的ではあれど能力を得ることによって、後々の展開がスムーズになったり地獄を見ることになるということもある。

満遍なくあらゆるものに少しずつ時間と労力を割いて中途半端に物事をなしてもどうしようもない。かと言って何かを選択し集中させれば万事良しという訳でもない。長いこと使い続けられる能力と一時的に爆発的な能力を得られるのであれば、前者のほうがコストパフォーマンス的には良いことが多いかもしれない。けど前者は大抵多くの時間と労力を費やさなければならないし、後者が全くいらないわけではない。時にはタイミングを見て別方面に、一時的とわかっていてもそれに投資しなければならないこともある。

ということをゲームでのレベルアップ時にもらえるパラメータ振りをしながら考えてた。この能力、序盤しか使い道ないけど序盤にこれ使っておくと後々楽になるよなとか、複数ある攻撃スキルに満遍なくパラメータ振ってたら決め手に欠けて攻撃力全然上がらないなとか。ミサイルランチャー一発よりもショットガン一発のが攻撃力高いってどういうことだよ。

生活スケジュール法で社会復帰を目指す

無職だと時間に縛られることが無いので、やろうと思えば、いややろうとしなければといえば良いのか、とにかく水は低きに流るるが如く生活が堕落していく。元々不眠症だったのが悪化して昼夜逆転したりとか寝るに寝られず30時間位起きてたりして昼夜逆転を逆転させて真っ当な生活に戻ったりとか、かと思えばまた次の日には昼夜逆転…とかで生活リズムがとにかくメチャクチャになる。

ある程度一歩踏み出せば大抵のことはなんとかなる。やりたくないことがあっても、とりあえずちょっとだけ手をつけてみると作業興奮やら何やらでやってるうちに集中力が増してくる。会社行きたくないと思っても、とりあえず起きてシャワー浴びて着替えてみると意外となんとかなる。*1そういう状態にもっていくのにリズムは重要なんだと思っている。やりたくないことがあっても、毎日この時間はこれに手を付けてみる、みたいな習慣があれば大抵はうまくいくし、逆に生活リズムが乱れまくってそういう状態にもっていけないと何も出来ないまま日々が過ぎていく。ので、生活リズムを正しく刻まなければと思った。

で、どうしようかと調べていたらこんなページを見つけた。

生活スケジュール法

大体の1日のスケジュールを決めてそれに合わせて動こうというもの。まっとうな人からすればこんなもん当たり前と思われるが今の自分にはちょっとしんどかったりする。自分の場合は

7:30 起床 8:00 シャワー浴びて朝ごはん 8:30 散歩 9:30 作業(プログラミング) 11:00 休憩 11:30 作業再開 13:00 昼ごはん 13:30 散歩 14:00 作業再開 16:00 休憩 16:30 作業再開 18:00 晩ごはん 19:00 作業再開 20:00 作業終了 24:00 就寝

というようなスケジュールをたてている。出来る限り1日8時間は何か勉強とかプログラミングにあてている。働いていた時と同じくらい時間、何かを出来るようにして社会復帰に向けている。夜は大抵集中力が持たないので中途半端な時間に寝てしまわないように気をつけながら音楽聞いたりtumblrとかしてる。 1ヶ月くらいチャレンジして最近やっと慣れてきた感じだ。大体週4~5日はこのスケジュールの通りに動けている。1週間のうち残り2日くらいは寝起きとご飯を食べるタイミングだけ合わせている。それ以外の時間はゲームしたり映画見たりしている。とにかくボーっとしないように、昼寝とかしないように気をつけている。寝るとリズムがめちゃくちゃ崩れやすくなってしまうから。 あとはgoogleカレンダーにその日の実績(何時になにをしてたか)をその日の睡眠時間や天気などとともに記録している。それをみて、この日は睡眠時間がちょっと少なかったからあまり集中できなかったなとか天気のせいかとか分析してみたり、逆にこの日は妙に集中力が保てたけど何でだったんだろうかとかより良くするために色々考えたりしてる。 ちゃんと通院してるというのもあるのだろうけど、これを意識してからだいぶ状態は良くなったような気がする。実際に働いてみたらこれ通りにはいかないのはわかっているが、今のうちに何もしないよりもマシだろうし、これによってリズムを身に付ければ自信もつくかもしれないと期待を寄せながら続けている。

*1:医者にかかる必要があるレベルは別だけど…

新しいことを始めるときはインデックス(目次)を作るように心がける

今週からandroidの開発に手をつけ始めた。ちょうど去年の今頃もやっていたのだけど、綺麗サッパリ忘れているのでほとんどはじめから学習しているような感じだ。それでなくとも、androidなんかは新しい機能追加や取り巻く環境がものすごいスピードで進んでいるみたいなので、1年もブランクがあると結構追いつけなくなっている。

前に働いていた会社で「バグで15分つっかかったら誰かに相談しろ」と言われたのを覚えている。結局守れてはいなかったけど。自分は自力でなんとかしようとする癖がものすごくあるし、ある程度計画を立ててあるポイントで躓くと、それを解決するのに意固地になって馬鹿みたいに時間を使ってしまう事がよくある。バグとか障害に対してのみそういう態度じゃなくて、学習するときにもその性格が出てしまう。つまり、例えば入門書を読んでも全て理解しようとするし、「これはおまじないみたいなもんです」みたいな記述を見かけるとそのおまじないの詳細を調べようとしてしまう。結果馬鹿みたいに時間がかかる。全体を見通してのペース配分が出来ないというか視野が狭すぎて目の前の問題にしか対処する力が無いというか。

とにかくそういう性格はわかっているので、今は出来る限りあまり覚えたり踏み込まないように心がけている。入門書を読んで「これはおまじないみたいなもんです」という記述に出会っても結局調べるけど、それがどういうものなのか一言で表せるレベルに調べようと抑えている。全てが上手くいってるわけじゃないけど…。

分からないものを分からないまま放っておいたりその学ぼうとしているものがどれほどまでに学ぶべきことを知らなければレベルアップは見込めないんじゃないかと思うし、かと言って入門者が1から100まで全てを知ろうとするのは無理がある。結局どのくらいがちょうどいいんだろうと考えると、目次のような、一言で表せるようなものがある程度無いといけないんじゃないのかと考える。 目録の詳細については都度調べることでいいとして、まず最初はそれがどういうものなのか一言で簡潔に言い表せる程度に理解してれば十分かつ問題にぶち当たったときも解決が早いのではないのかななんて思っている。

ので、出来る限りそのインデックスを増やしておこうと思っていたけれども、今度はそのインデックスを作るだけで馬鹿みたいに時間がかかっちゃうので、それはそれでまた時間配分をどうするのか決めるべきになるが、15分とかそういう時間単位を設けるのはそれに対して良い解決方法だ。15分とかそれくらいで分からなければ多分初心者が入り込むべき話題じゃないと割り切れるし。時間と相談しながら全体像がどれくらいなのかを見定めなければならない。

夜に一人で出歩くことはどう捉えられているのか?

昼間に作業をすると集中力を使い果たしちゃって夜は何もできなくなるんだけど、この何も出来ない無駄な時間どうしたら活用できるだろう…と昨日書いてみたら「ランニングかなんかすれば?」というコメントを頂いた。

自分自身走るのは嫌いじゃないしむしろ長距離走なんかは得意な方だし、日頃引きこもっているので運動不足の解消にそうするのは良いと思う。実際働いていた頃は家に帰ってから寝る2時間位前に走っていい感じに肉体的な疲労も感じたところでシャワーを浴びて眠りにつくという方法をとっていた時期があってそれも上手くいっていたので経験的にもそれはいい選択肢の1つだとはわかっているが、今はやろうとは思わない。何故かと言うと場所が違うから。働いていた時は東京にいたが、今はド田舎だから。

東京で夜中に一人で出歩くこと

東京と言っても八王子らへんに住んでいたので、そこまで夜中に出歩く人は多くない。それでも終電のある1時位までは駅周りは多少は人がいるし、コンビニの近くなんかにも人通りはあった。同じく夜中にランニングしている人もいた。車の通りもそこそこあるし、街灯も信号も自販機もコンビニも多くある。昼間と比べて危機感とか人目とかを気にすることはそう変わらなかった。

ド田舎で夜中に一人で出歩くこと

最寄りの自販機まで徒歩15分、最寄りのコンビニまで徒歩1時間、電車は早くて1時間に1本で終電は22時というくらいの田舎だとそうはいかない。街灯は200~300mに1本あるレベルで他に光というと月明かりしかないので、慣れでそんなに感じてなかったけど人によってはかなり暗くて怖いかもしれない。大学へ行くのに上京するまでその暗い中を歩いていたり土地勘がかなりある分、歩いていて危機感はあまり感じない。 が、問題は人目。1ヶ月くらい前だろうか、19時位にコーヒーを買いに歩いていたところでその近くに住んでる人に出くわし「ヒッ」と声をあげられた。自分も驚いたし軽くショックを受けたけど、よくよく考えればそんな時間でも夜に出歩く人はいないので、そのリアクションは何もおかしくない。

そもそも田舎で歩かない

そもそも田舎で歩く人間はあまりいない。いても免許をもっていない小学生・中学生・高校生くらいなもの。いい歳した大人は車で行動する。別に夜でなくても昼でも田舎の人はあまり外を出歩かない。コーヒー買いに行くとかコンビニに行くとかちょっとした行動すら数十分単位で時間を使うので、行動手段はそりゃ車になるし外出頻度も低くなる。学生の登校時間である朝や下校時間の夕方は多少人通りがあるけど、昼間に歩いている人なんてほとんどいない。学生は学校に行ってていい歳した人間は働いているはずの時間帯である昼間に散歩とかすると凄く目立つ。お前こんな時間にナニしてるんだと。というわけで昼ですら怪しい人物と認識されかねないので夜なんかもってのほかだったりする。

都会でも「不審者」だったのか?

というわけで田舎で夜に出歩くと不審者認定待った無しなので、あまり夜に外出する気にはならない。 が、ここで思うのは別に都会でも*1実は不審者として捉えられていたのではないのか?ということ。 「小学校から聞こえてくる子どもたちの声がうるさい」とか「公園で遊ぶ子どもたちがうるさい」みたいなよく分かんない意見をネットの記事なんかで目にしたことはあるのだけれど、その意見の良し悪しは別としても、自分の周りの環境を快適にしたいとかそういう意識があって自分の家の周りに注意を払っているからこそ出てくる意見だ。田舎だと目立ってしまうがために人目を気にして出歩くのが憚られているのだけども、都会に住んでいる人だって当然自分の家の周りに対しては注意を払っている訳だ。となると都会でランニングしていた自分の姿はそういう近隣の人から見たら「毎晩22時~23時くらいにハァハァと息を荒立てながら家の近くをうろつく変態がいる」と認識されていたんだろうかと今更ながら思ってしまう。

上述のような夜になると超暗くなるところで育ったために、夜中に出歩いたりランニングする事に対してはそんなに恐怖感は感じていなかったし、走れればどこだっていいだろうと考えていたのでわざわざ走るためにジムに行くなんてことは全然考えていなかった。多くは近くの河原を走っていたけど、気分によっては別のコース(住宅が近くにある大きい道路沿いなど)を走っていた。皇居ランナーに対しても「別に毎日のワークアウトとして走るんなら家の周り走ったって同じだろ、わざわざ皇居に行って『自分は走ってトレーニングしてますよ、自分磨きしてますよ』アピールしてんじゃねえ、ランニング中に捻挫しろ」と思っていたが、皇居の周りなら一般人の家は無いし、ランニングしてるところを他人に見られたところでランナーとして認識されるので不審者と思われにくいし、ワークアウト目的なら皇居の周りやジムで走っていたほうがいいんじゃないかとも思うようになった。まぁまだちょっと捻挫しろとは思っているけど。

とにかく田舎であろうと都会であろうと、夜中に出歩くのはどう見られているのだろう?やっぱり不審者でしかないのだろうか?

*1:八王子は都会なのか?という意見は聞きません、駅近くにスタバやマクドナルドがあれば都会なんです

夜の時間の使い方に困る

朝起きてから2時間位はシャワー浴びたり朝ご飯食べたり散歩したりして眠気を覚ます。 それからプログラミングを始めて3,4時間、昼休憩を1時間位挟んでまた午後から作業開始。そして晩ごはん。晩ごはんの後も集中力が残っていれば何かする。大体作業している時間は1日7,8時間くらい。というかそれくらいが通常時の作業時間の限界っぽい。それ以上は頭が働かなくて何も手につかなくなるし、そんな状態で何かしても後々ダメな影響を与えてしまうのでそれ以上はしたくない。

そうなると夜の数時間は何も出来なくなる。読書とか頭を使う作業はできない。映画とかも見てストーリー把握するのに集中力を使うし、見るならそれを余すところ無く理解し堪能したいというタイプの貧乏性なのであまり見たくない。ゲームはやるにしてもciv5のような戦略系ゲームくらいしか今のところやる気にならないのでそれも集中力不足でのめり込めない。もっと簡単なアクションゲームなら手を動かすことで集中力も少しは回復するのでは…?と思って3DSマリオブラザーズ3を買ってみたけど、全然簡単じゃなくなってて自分の老いを感じて泣けてきたのでダメだった。*1

結局音楽聴きながらボーッとするかtumblrをボーッと眺めるかくらいしかしていない。tumblrは文字をある程度は読むものの、ほとんど頭に入ってないような状態。ただ読んでそれらの文字列が頭の中を通過するだけというような、そこからまるで意味を汲み取れないというような感じで、流し読みというか流し見しているような状態。

どうにもこの数時間がもったいなくて有効活用したいとは思っているのだけど、うまくいかない。なんかうまく時間を活用できる方法は無いものだろうか…

*1:自分が老いているんじゃなくて、3DSの操作性が悪いせいだと必死に自分に言い聞かせている。