歳をとるという悲しさ

作業していて疲れてくるとすぐ眠くなる。眠い状態だと作業をやる気もしなくなるので、適度に休憩を取ることにしている。でもその休憩の中でアニメ見たりとか受動的な行動をしていても眠気はひかないし、ヘタすると更に眠くなったりする。なので休憩は短時間で区切りがついて能動的な行動ができるものがいいなぁと考えた。で、能動的な行動で眠気を吹き飛ばすもので何が良いだろうと考えた結果、ゲームが良いんじゃないかと思った。ストラテジーゲームよりも瞬発力が求められるようなアクションゲーム。PCのアクションゲームは起動させるのを待つのがかったるいから良いもんないかと思ったら、前に買ってちょっとだけ遊んだ3DSを思い出した。で、3DSで簡単にできそうなのを探したらマリオブラザーズ3を見つけた。これなら適度に眠気を吹き飛ばして、1面クリアごとに作業復帰と、休憩の単位もとりやすいので我ながらいいアイデアだと思った。

で、早速やってみたけど、まず1-1がクリアできない。二十年くらい前、何度もトライしては速攻でクリア出来ていた1-1が全然クリアできない。どこにキノコがあってどこにノコノコがいて…みたいな情報は全部記憶しているのに、ぜんっっっっっっっっっぜんクリアできない。なんか、マリオが全く思った通りに動かない。このタイミングで敵が出てくるからとか、このタイミングでキノコを取りに行けば、みたいなのも覚えているんだけど、マリオが全く昔のように動かない。全然タイミングが合わずに穴に落ちたり敵に当たったりする。なんでだ。結局1-1だけでクリアするのに1時間以上かかってしまった。

なんでなんだろうかと考えてみた。なんでこんなにマリオが思ったように動かないのか。色々考えてみたけど、やっぱ老化現象なんだろうな、と思った。歳をとるにつれて階段を上がるのがきつくなったり、ちょっと走っただけで息が上がってしまったり、瞬発力が落ちたり、筋肉痛が全然治らなかったり…そういう能力的な衰えというのは、生き物としてしょうがないのだろう。かつて当たり前のように出来ていたことが出来なくなる、というのは物凄くショックだ。

「生老病死」という言葉がある。仏教において人が免れることのできない四つの苦しみだ。この言葉、最初は「生」から始まって「死」で終わっているので、楽な順番に並んでいるのだと思っていた。「生」、つまり生きることは四つの苦しみの中でも楽な方で、老いるのが二番目に、病が三番目に苦しく、そして「死」が一番苦しいと位置づけられているのだと思っていたが、実際は逆らしい。「死」が一番楽なほうで、生きることが一番苦しいというのだ。そして「老」。「老いる」ということは苦しさの上では高ランクらしい。

見た目的には老けているように見えないのだけれども、実際は老いはもう始まっている。次第に、それまで出来てことが出来なくなっていくのかと気付き、それを目のあたりにするというのは、辛いことだ。病気は治らないものもあるが、治ることのほうが多いだろう。治る確率が多少なりともあるということはいくらかでも希望が持てる。しかし、老いは回復することはない。不可逆な現象だ。そういう現実を見せつけられるというのはかなり心に来る。

生まれた時から老いは始まるのだ。数十年も経てば、あちこちにガタが来るだろう。最初に生まれた場所を出てから、気づけば色んな所を巡っていく。そんな長い時間をかけた人生という旅路の中で、もう老いは始まっていたのだろう。その旅路の中で、色んな岐路に立たされ、時にはスポットライトを浴びる中で生まれるプレッシャーやストレスがどれだけ老いを加速させていたのだろうか。どんなに取り繕っても老いに逆らうことは出来ない。最初はゲームウォッチだったのがファミリーコンピュータで世界的な注目を浴び、スーパーファミコンニンテンドー64wiiと色々なところで舞台で働き、また3DSで元の職場に戻るという客先常駐のようなスタイルの労働はどれだけのストレスだったのだろうか。

あなたは歳をとったんだね、マリオ。昔はあんなに鮮やかに飛び跳ねて最高のタイミングで迫り来るトラップや敵を避けてゴールに向かうことができていたのに、今やジャンプのタイミングも方向転換のタイミングも合わずあっけなく散っていってしまう。いや、私は二十年も前にやったゲームのコース内容とか全部覚えてる訳だから、私が老けてないことは明らかなんだけどさ。二十年前と同じタイミングでボタンを押してるはずなのに何度やっても同じ所で敵にあたって死んじゃうとか、やっぱりマリオ側が老けたよね。マリオが老けてジャンプとかBダッシュにキレがなくなったせいで、1-1をクリアすることすら難しくなったんだよね。いや、私の反射神経とか瞬発力が悪くなったとかじゃなくて。もう何十年も体を張り続けてるマリオが老けるのは当然だからね、ホントしょうがないよね。1-1がクリアできなくっても。いやマリオ側の責任という意味でね。まぁマリオが老けたんじゃあクリアできなくてもしょうがないよね。老いって怖いね。

「足元注意!」の立て札って罠じゃない?

今日も今日とて朝の散歩がてらに缶コーヒーを買いに行ったところ、行く途中の道で昨日までは無かった立て札を発見した。目が悪いから立て札に書いてある文字が見えず、なんだあれ?と思って目を細めながらその立て札にそろそろと近づいていったところで、派手にズッコけた。立て札の周りの道は凍結していた。コケた時に手をついたものの、ちょっとだけ血が出た。先週末の雪がちょうど溶けてきたのが夜中に凍ったのだろう。こういう雪が降った後って、雪が降ってる当日はそんなに滑りやすいわけじゃなくて、その数日後のが危なかったりする。雪が止んで日中に太陽の光があたって雪が溶けるんだけどその溶けた水が凍ったり、雪が踏み固められてアイスバーン状になって氷と同じくらい滑りやすくなったり。そういう日に歩いている時、道から目を逸らすとこうやってこけてしまう。立て札に気を取られて道を見てなかったからコケたのだ。で、結局その立て札には何が書いてあったかというと、「足元注意」。うるせえ。

睡眠不足をどうにかしたいなら、睡眠に対するこだわりを捨てろ

睡眠に関する本を読んでる。

レコーディング快眠法

レコーディング快眠法

この本の著者の別の本の紹介文では「バイラルメディアには適当な記事が多い」と大見得を切っていてまるで俺が本物の睡眠に関する知識を教えてやるよとでも言いそうな強気な感じが気に入ったので買ってみた。半分くらいしかまだ読んでないけど、それでもなるほどと思える事が多い。

睡眠の本懐は昼間の行動にあり

1日最低6時間は寝たい。それも途中で起きたりせずに出来るだけ6時間以上ぶっ続けで。というのをここ1,2年ずっと思っているのだけれどもうまくいっていない。どうしても1日4時間とか5時間くらいの睡眠になってたり毎日のように夜中に目が覚めてしまう。睡眠かくあるべしみたいな理想と現実は程遠い。

が、そもそも睡眠は何のためにとっているのか。睡眠は日中の肉体的疲労や精神的ストレスを回復させ、それらの疲労を明日に持ち越さないためにとるものだ。だから別に理想的な睡眠時間とかどうこうとかは直接の関係がない。要は何時間寝ようが、夜中に何度起きて睡眠を中断しようが、その次の日の昼間に元気に動けていればそれでOKだということ。そんなことが書いてあった。

確かに理想的な睡眠の形を夢想してそれを目指そうとしてるのは手段と目的を履き違えてる感じがある。目的は次の日の昼間の行動に支障をきたさないことであって、その手段が睡眠なわけだし。6時間ちゃんとぶっ続けで寝られるけど昼間はボロボロで何も出来ないというよりも、形はどうあれ昼間ちゃんと動ける程度の睡眠がとれればそれでいいということだ。どういう睡眠が理想的かなんて、年代や育ってきた環境とか今の環境によってだいぶ個人差が出てくるんだし、6時間~8時間という定説にとらわれる必要はない。

睡眠を意識しすぎるほうがダメになる

銀魂で、銀さんが明日の朝早くから仕事があるので早く寝なきゃいけないんだけど、目が冴えちゃって眠れなくなっちゃった、早く寝なきゃ早く寝なきゃと焦るんだけど、そういえば普段寝る時って眼球をどういう位置においてたっけ?舌とかどういう位置においてたっけ?どういうリズムで息してたっけ?みたいな疑問が湧いてきて、そういうことを意識しちゃって余計に眠れなくなる、みたいなエピソードがあった。

「ピンク色の像のことは考えないでください」みたいな、普段考えもしないような意識しないようなことについて意識し始めると、それをやめようと思っても余計に意識してしまうみたいな感じの話。それが睡眠にも当てはまるとのこと。変に身構えてしまうとそれが逆に不眠を招くことがある。

普段ちゃんと眠れないから上手く寝れるように色々策を講じてみるけど、そうやって変に意識を向けると余計に意識が向いてしまう。寝る前にスマホ見るのは良くないとよく言われるけど、じゃあブルーライトの出ない紙の本をほんだりヒーリング音楽的なものでも聞いてれば眠気が出てくるのかというとそうでもないらしい。なので変に小難しい本を読んで眠気を誘おうとか音楽聞いて入眠しようとするとうまくいかず、その経験を無意識の内に学習してしまう。学習というか条件付けみたいなもの。つまり意識して眠る前に何か行動を起こせば起こすほど、それがかえって睡眠の障害になり、そしてそれが入眠を妨げる条件付けとして体が覚えてしまう。良かれと思ってやっていることが裏目裏目にでれば、その分だけ睡眠に対する不安や焦りを生む。それがさらに不眠を悪化させることすらあるみたい。

こだわりが生む悪循環

曖昧な根拠で決めた理想的な睡眠時間にこだわり、それを達成するために睡眠直前の行動に意識置き過ぎるようになり、それがプレッシャーのようになって逆に寝れなくなる。とにかく変な理想やこだわりを捨てて、どういう睡眠だろうと明日動ければそれでいいやくらいの心持ちで望むほうがいいみたいだ。今夜寝れなくて徹夜したところで、明日の夜には馬鹿みたいに眠くなってるのがオチだろう。殆どの場合は1日我慢すればちゃんと眠りにつけるわけだし。

というような感じで睡眠に対する心構えを解釈した。この本の意図通りなのかは分からないけど。レコーディング快眠法というタイトルなのにまだその肝心の快眠メソッドの部分は読んでないのだけれど、それでも得るものはたくさんあったように思える。とにかく変に理想に突っ走らないようにしよう。

考え方を変えるなら、言い訳を用意しろ

三つ子の魂百まで、ともいうし何十年か生きてきた中で培われた性格は中々変えられない。が、これを変えなきゃなとは無職になってからずっと思っている。自分の性格の欠点なんてHDD容量がパンパンになるくらいに挙げることができるけれども、残りの人生で変えられるものなんてそのうち1つあれば良いくらいだろう。とにかく何か変えなきゃヤバイなという危機感はあるんだけど、果たしてそのうち1つでも自分の性格の嫌なところを変えることなんて出来るのかと疑わしい。

ネガティブで凹みやすい考え方をポジティブで何があってもへこたれない考え方に変えるなんて大変革は無理なの承知だけれども、せめてへこたれてもいいから早く回復できるようにはなりたいと思っている。が、やっぱり生来の考え方というのはほとんどその人の性格とイコールなので変え難い。どうやったら変わるのだろうか、変え方がわからない。

どうしたらええんや…とうんうん唸っている時に、認知療法の本に「何かが自分の身に起きて、それによってネガティブな考えが浮かんだら、それを書き下せ」というアドバイスがあったのを思い出した。起こったこととそれによって生じたネガティブな考え、そしてそのネガティブな考えを打ち消すような反論まで含めて書けというもの。何か嫌なことが起こってネガティブな感情や考えが反射的に浮かんでくるのはもうしょうがないものとして、それに加えてそのネガティブな感情を引きずり続けないように、それを打ち消す反論というかいわば言い訳のようなものを考えるように、そして書き出すように訓練しろという感じに解釈している。結局は訓練というか反復練習が必要なんだけど、もうネガティブさとか性格ともいうべき考え方がまず真っ先に浮かんでくる事自体は否定せず、というか抑制できないので、せめて後付でその反射的な考え方に更に言い訳を反射的に付け加えて考え方を矯正しろってことなんだろう。

色々思い出してみれば、何かに失敗して自分は無力だ、もう何も出来る気がしない…という感じで無力感でいっぱいになって何も出来なくなるパターンとか、こんなことも出来ない自分は情けないと自分に対して怒りを感じたりとその時々の状況にもよるけど自分のネガティブな考え方はある程度のパターンに分類できるので、それらのパターンをリストアップしておいてからそれらに対する「言い訳」を作って覚えておいたら良いんじゃないのかと考えた。

もうすでに定着してるものをどうにかして引っぺがすことは出来ないので言い訳を上塗りしていくという考え方は中々興味深いな、とその本を読み返しながら思った。 でもなにか嫌なことが起こった時に反射的にその言い訳までを考えるように習慣づけるにはどうしたらええんや…というまた新たな問題が出てくるので、やってるとキリがないような感じもするが、ネガティブな考え方をそっくりそのまま転換してポジティブな考え方ができるようにしましょうねという無理がありすぎる課題よりはマシだし現実的で可能そうな気がする。ここのところ、朝起きた時に何時に寝て何時に起きたか、何時間眠れたか、途中で起きることは何度あったか、と不眠の状況を記録する日記をほぼ毎日つけているので、そういう日記にそんなことを書けば良いのかもしれないな、などと思ったり。多少独善的な言い訳であっても、何も出来ず凹みまくる毎日よりはマシだろうとも思いながら。

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

嫌嫌

あることをやり始めた当初は新鮮で楽しく感じられるんだけど、ある程度続けてくると飽きてくるのか何なのか、物凄く嫌になってくる。この作業に意味あんのか、意義あんのか、成功するのか…みたいな気分になる。けど、意味あるか成功するかどうかもわからないしそれを明確にするためにもその行動をし続けなきゃいけない、みたいな時は本当に辛い。その辛さでだんだんと作業ペースが落ちてきてやり方もちょっとずつ雑になってきて…みたいなことによくなるし、今まさにその真っ只中にいる。

別のことに手を出してリフレッシュしても、また再びその元の作業に戻ってもその時感じていた嫌な気分もそのまま蘇ってくるので、どうしたらいいのかということをずっと考えてる。ずっと考えてるけど、結局この嫌な気分は多分どういう作業やってても感じる普遍的な感情なんだろうから、何度もそれに立ち向かっていって慣れていくしか無いという気がしている。

ブレイキング・バッドの劇中で、主人公がボコボコに殴られて顔にアザができてるのをパートナーに見られるシーンがある。そのパートナーは主人公よりも何度もボコボコに殴られてきた経験があるので、そのアザを見て主人公に対して「そういうのは慣れだからさ」とサンドバッグ経験者としてのアドバイスを送る。物理的にボコボコにされるのも精神的にボコボコにされるのも(ある程度は)慣れによってどうにかなるもんなのかなぁと、そのシーンを見て『慣れ』の強力さというかそれを身につけるのが一番の解決策なんじゃないのかという考えが強まった。

ゲームに学ぶ選択と集中

1日の時間の使い方について凄く考えるようになった。大体いつも午前中は集中力があるんだけど午後になるとだんだん眠気がそれを上回ってきて、夜になると眠くて眠くてボーッとしてしまう。そういう感じなので頭を使わなきゃいけないことは出来る限り午前中に回して、ある程度頭が回らなくてもなんとかなるようなものは午後に回して、夜は中途半端な時間に寝ないよう頑張る、という感じ。

夜、頭が回ってない時間帯はできるだけ生産的なこととかはしないようにしてる。集中力ほぼ0の状態でなんかやっても何も得るものないんじゃないかと思っているから。得るもの無いくらいならまだマシで、それ以上に悪影響すらあるんじゃないかとすら思えてくる。中途半端にやる癖みたいなのがついちゃったら嫌だから。文字が頭に入ってこない状態で読書をしていても意味が無いし、それを常態化させて習慣化させてしまったら読書に対しての心構えというかも常にそんな感じになってしまうんじゃないかと恐れている。娯楽のための読書は別かもしれないけど、自己啓発書とか技術書とかに対してそうなってしまうのは嫌だ。何か能力や知識を得たいのなら、ある程度の集中力と労力が必要だろう。ただ本を読んでるだけじゃ賢くはなれないし、ただカラオケしてるだけじゃ歌はうまくならないし、毎日ブログを書くというだけじゃ論理的に扇情的に文章を書けるようにもなれない。何かしらの目標を据えてそれに対してどういうアプローチを取るかとか何を意識しながらその行動を行うかによって得るものは違ってくると思う。時間は限られているので、どの行動にどれだけの時間と労力・集中力をつぎ込むかで色々変わってくるし、適切にそれらを振り分けなければならない。

かと言って時間と集中力を費やせばそれでいいってわけでもない。例えば受験勉強のとき、それなりに集中力と時間をつぎ込んで多くの知識を得たはずだけど、今となってはそれらの知識はほとんど頭のなかにない。受験勉強で得たものはテストで良い点とるためだけの即物的なものではないのだけれど、ただやっぱり知識を得ることにウェイトをおいていたのでそれが時間経過によってほとんど失われてしまったのは時間と労力の無駄だったようにも考えられる。けど、そのタイミングではその即物的なものが無ければいけなかったわけだし、それが間違った選択だった、その時間でゲームでもしてりゃ良かった、とは思えない。 長いこと使い続けられる能力のほうが一時的な能力よりも良いのはわかるが、時間やコストの兼ね合いとかそういう意味でなくタイミングとして後者を選択しなければならない時もある。要はタイミングも考えなければならない。そのタイミングで一時的ではあれど能力を得ることによって、後々の展開がスムーズになったり地獄を見ることになるということもある。

満遍なくあらゆるものに少しずつ時間と労力を割いて中途半端に物事をなしてもどうしようもない。かと言って何かを選択し集中させれば万事良しという訳でもない。長いこと使い続けられる能力と一時的に爆発的な能力を得られるのであれば、前者のほうがコストパフォーマンス的には良いことが多いかもしれない。けど前者は大抵多くの時間と労力を費やさなければならないし、後者が全くいらないわけではない。時にはタイミングを見て別方面に、一時的とわかっていてもそれに投資しなければならないこともある。

ということをゲームでのレベルアップ時にもらえるパラメータ振りをしながら考えてた。この能力、序盤しか使い道ないけど序盤にこれ使っておくと後々楽になるよなとか、複数ある攻撃スキルに満遍なくパラメータ振ってたら決め手に欠けて攻撃力全然上がらないなとか。ミサイルランチャー一発よりもショットガン一発のが攻撃力高いってどういうことだよ。

生活スケジュール法で社会復帰を目指す

無職だと時間に縛られることが無いので、やろうと思えば、いややろうとしなければといえば良いのか、とにかく水は低きに流るるが如く生活が堕落していく。元々不眠症だったのが悪化して昼夜逆転したりとか寝るに寝られず30時間位起きてたりして昼夜逆転を逆転させて真っ当な生活に戻ったりとか、かと思えばまた次の日には昼夜逆転…とかで生活リズムがとにかくメチャクチャになる。

ある程度一歩踏み出せば大抵のことはなんとかなる。やりたくないことがあっても、とりあえずちょっとだけ手をつけてみると作業興奮やら何やらでやってるうちに集中力が増してくる。会社行きたくないと思っても、とりあえず起きてシャワー浴びて着替えてみると意外となんとかなる。*1そういう状態にもっていくのにリズムは重要なんだと思っている。やりたくないことがあっても、毎日この時間はこれに手を付けてみる、みたいな習慣があれば大抵はうまくいくし、逆に生活リズムが乱れまくってそういう状態にもっていけないと何も出来ないまま日々が過ぎていく。ので、生活リズムを正しく刻まなければと思った。

で、どうしようかと調べていたらこんなページを見つけた。

生活スケジュール法

大体の1日のスケジュールを決めてそれに合わせて動こうというもの。まっとうな人からすればこんなもん当たり前と思われるが今の自分にはちょっとしんどかったりする。自分の場合は

7:30 起床 8:00 シャワー浴びて朝ごはん 8:30 散歩 9:30 作業(プログラミング) 11:00 休憩 11:30 作業再開 13:00 昼ごはん 13:30 散歩 14:00 作業再開 16:00 休憩 16:30 作業再開 18:00 晩ごはん 19:00 作業再開 20:00 作業終了 24:00 就寝

というようなスケジュールをたてている。出来る限り1日8時間は何か勉強とかプログラミングにあてている。働いていた時と同じくらい時間、何かを出来るようにして社会復帰に向けている。夜は大抵集中力が持たないので中途半端な時間に寝てしまわないように気をつけながら音楽聞いたりtumblrとかしてる。 1ヶ月くらいチャレンジして最近やっと慣れてきた感じだ。大体週4~5日はこのスケジュールの通りに動けている。1週間のうち残り2日くらいは寝起きとご飯を食べるタイミングだけ合わせている。それ以外の時間はゲームしたり映画見たりしている。とにかくボーっとしないように、昼寝とかしないように気をつけている。寝るとリズムがめちゃくちゃ崩れやすくなってしまうから。 あとはgoogleカレンダーにその日の実績(何時になにをしてたか)をその日の睡眠時間や天気などとともに記録している。それをみて、この日は睡眠時間がちょっと少なかったからあまり集中できなかったなとか天気のせいかとか分析してみたり、逆にこの日は妙に集中力が保てたけど何でだったんだろうかとかより良くするために色々考えたりしてる。 ちゃんと通院してるというのもあるのだろうけど、これを意識してからだいぶ状態は良くなったような気がする。実際に働いてみたらこれ通りにはいかないのはわかっているが、今のうちに何もしないよりもマシだろうし、これによってリズムを身に付ければ自信もつくかもしれないと期待を寄せながら続けている。

*1:医者にかかる必要があるレベルは別だけど…